2024年7月3日、新しい日本の紙幣の発行が始まりました。紙幣のデザインは約20年おきに一新されることになっており、今回の新発行では最新新技術による偽造防止がさらに強化。算用数字が大きく表示される等、ユニバーサルデザイン対応にもなりました。電子マネーの普及が進む昨今ですが、現金の取扱いはまだまだ健在です。しばらくは新旧の紙幣が混合して出回ることから、紙幣のデザインを知っておきたいところですね。例えば、紙幣にある肖像画の人物について、ちょっと知っておくというのはいかがでしょう。
新紙幣の肖像画の人物は誰?
2024年より発行される新紙幣の肖像には、日本の近代化に大きく関わった人物が採用されています。いずれも、現代に繋がる日本の近代国家の礎づくりに尽力した偉人です。
新1万円札:渋沢栄一
渋沢 栄一 しぶさわ えいいち(1840 – 1931)
生涯に500もの企業の設立に関与したといわれる実業家。日本の近代化と経済発展に大きく貢献し、「日本近代社会の創造者」「日本資本主義の父」と称されています。
新1万円札 画像: © 日本銀行サイトwww.boj.or.jpより
渋沢栄一は江戸時代末期に農家(豪農)に生まれました。家業を手伝いながら父から学問の教えを受け、従兄弟から論語を学び、自らの手腕を発揮することで、将軍家一門の家に使える武士への出世を果たしました。渋沢は27歳のときにパリ万国博覧会と欧州諸国を巡る視察へと渡航。先進的な技術や産業を見聞し、近代的な社会制度の仕組みを学びます。帰国後、武士の時代が終わり、新政府が発足されると、大蔵省(財務省)の官僚となって新しい日本の国づくりに深く関わります。退官後は、現在でも名を馳せる銀行、鉄道会社、電力会社等の企業や団体を設立し、経済による日本の近代化に貢献しました。生涯に約500社の企業の設立に携わり、同時に約600の教育機関や医療機関、研究機関等の設立・支援にも尽力しました。
新5千円札:津田梅子
津田梅子 つだうめこ (1864年 – 1929年)
日本で最初に海外留学した女性の一人。自ら大学を創立した教育家であり、女性の地位向上と女子教育に力を注ぎました。
新5千円札 画像: © 日本銀行サイトwww.boj.or.jpより
津田梅子は6歳の時に日本で最初の女子留学生として渡米。ワシントン近郊の夫妻宅に約11年間ホームステイしてアメリカの生活文化を会得しました。17歳で日本へと戻ると、日本女性が置かれている立場を知り驚愕。女性の地位を高めなければという思いを膨らませ、再渡米して大学で学びます。大学では質の高い少人数教育を受けることにより、自らの教育観を確立。帰国してからは教授として女学校で教鞭をふるい、後に女子英学塾(現津田塾大学)を創設しました。
新千円札:北里柴三郎
北里柴三郎 きたざと しばさぶろう (1853 – 1931)
世界で初めて破傷風菌の純粋培養に成功し、私立北里研究所を創立した細菌学者。「近代日本医学の父」と称されています。
新千円札 画像: © 日本銀行サイトwww.boj.or.jpより
北里柴三郎は18歳の時にオランダ人軍医に支持し、医学の道へ進みました。東京の医学校に入学すると、予防医学を生涯の仕事とすることを決意。内務省衛生局での勤務を経た後に、ドイツへ留学して病原微生物学研究の一人者ローベルト・コッホに師事します。1889年、世界初の破傷風菌の培養に成功。その毒素に対する免疫抗体を発見し、血清療法をも確立することで、一躍世界的な研究者として名声を博しました。日本へ帰国した後は、伝染病研究所を創立。伝染病予防と細菌学の研究に取り組み、1894年にはペスト菌を発見しました。細菌学者としてだけでなく社会活動にも従事し、慶應義塾大学で医学部を創設するなど尽力しました。
旧紙幣の人物は?
2024年の新紙幣発行が始まった後も、旧紙幣はこれまでどおり使用可能です。馴染みのあるお札として肖像画の人物についても簡単にまとめてみました。
旧1万円札:福沢諭吉
福沢諭吉 ふくざわ ゆきち(1835年 – 1901年)
幕末から明治時代の過渡期において、人々の考え方に影響を与えた啓蒙思想家。 慶応義塾大学の創立者。
旧1万円札 画像: © 日本銀行サイトwww.boj.or.jpより
福沢諭吉は下級武士の子として生まれ、貧しい家庭に育ちました。2歳のときに父が亡くなると、下駄作りの内職をするなどして家計を助ける生活を送っていましたが、学問に目覚めて14歳で塾に通い始め、19歳で蘭学を学び始めます。経済的な苦労をしながらも私塾で学ぶ日々を重ね、後に慶応義塾大学となる自らの塾を創立するに至りました。福沢は25歳の時には使節として渡米。その際に人々が身分にとらわれず能力次第で活躍できる社会を知り感動します。人は生まれながらに上下の差はなく、貧富の差や身分の差ができるのは、学問が有る無しが原因だと説いた「学問のススメ」という本を刊行し、啓蒙思想を世に広めました。
旧5千円札:樋口一葉
樋口一葉 ひぐち いちよう (1872年 – 1896年)
貧しい一家の生計を支えながら、歌人、小説家として自立した女性。24歳で夭逝する前のわずか14ヵ月間に、文壇に絶賛される作品を怒涛の如く発表。女性作家の第一人者として高く評価されています。
旧5千円札 画像: © 日本銀行サイトwww.boj.or.jpより
樋口一葉は下級役人の娘として東京で生まれました。幼いころから利発であり、十代前半の年頃には成績優秀だったものの、母の反対により進学は許されず、代わりに和歌と小説を学ぶ道を歩みました。1889年に父が死去すると、17歳の樋口が一家を背負うことになり、生活苦の日々がはじまります。針仕事や駄菓子屋を営むなどしても貧困から抜け出せず、樋口は小説の執筆で家計を支えることを決意。経済的に苦しみながら、『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』といった文壇に絶賛される作品を短期間で世に送り出し、肺結核により24歳で短い生涯を終えました。
旧千円札:野口英世
野口英世 のぐち ひでよ (1876年 – 1928年)
医師、細菌学者。日本にとどまらず海外の著名な研究所で感染症研究に従事し、人命を救う多くの功績を残しました。伝染病に蔓延する国へと赴き、自ら感染症で亡くなるまで研究を重ねた感染症研究の先駆者です。
旧千円札 画像: © 日本銀行サイトwww.boj.or.jpより
野口英世は、東北地方の(福島県の)貧しい農家の家庭に生まれました。幼少期に火傷を負い、左手が不自由になったことにより、農業ではなく学問で身を立てる道を選びました。勉学に励む中、恩師との出会いを通じて手の動きを改善する手術を受けることができ、それをきっかけに医学を志します。東京の医学校を卒業すると、アメリカへ渡りロックフェラー医学研究所で研究者として従事。多岐にわたる研究に勤しみ、特に梅毒の病原体であるスピロヘータの発見で成果を挙げて、病原菌の培養法を確立します。多くの功績を残していく中、黄熱病研究で訪れた地で自らが黄熱病に感染してしまい、1928年に死去。享年51歳。科学への情熱と挑戦の生涯に幕を閉じました。
参考資料
国立印刷局「新しいお札の肖像になった3名の人物を紹介します」
https://www.npb.go.jp/ja/n_banknote/shokai/
日本銀行「新しい日本銀行券」
https://www.boj.or.jp/note_tfjgs/note/n_note/